新年の挨拶をしてから既に2月後半。時の経過は早いものです。この2か月近く何もしていなかったわけではなく、結構忙しなく作業をしていた気がします。ブログでは、音楽や海外に関するニュースや自身の考えを中心に更新してきましたが、これからはあまりテーマを絞らず、思ったことを書き連ねようかと思います。その方が継続できますしね。
で、思ったことです。
最近メタバースとかNFTとかよく話題になってますね。フェイスブックは社名までMETAに変更するくらい今後はメタ(超)バース(宇宙)に注目すべきとか、Non Fungible Token(非代替性トークン)の時代になるとかメディアまでよく取り上げるのだけれど、本当なのか、と思ってしまうのです。
もちろん、時代はどんどんデジタル化しており、その恩恵を享受している自分もいるわけです。音楽業界もデジタル化が進み、自宅にいながらDTMで作詞・作曲・編曲から演奏、果てはミックス、マスタリングまで全てコンピューター上のソフトで完結でき、その完パケ音源をアグリゲーター経由で世界中にDSPで配信可能な状況です。プロモーションはSNSでリスナー、ファンにダイレクトに仕掛けられるという、まさにレーベル、事務所いらずの時代です。タイアップと潤沢な宣伝費を提供できない限り、レーベルの存在理由が希薄になり、DIYアーティストが今後もっと増加していくのだろうと容易に想像できます。
人類にとって、この100年間で音楽に触れる総時間は、今が一番多いのではないだろうか。リスナーとしても、クリエイターとしても。
音楽業界というよりも、音楽を愛でる絶対人口が増えているのはとても喜ばしいことである。
さて、メタバースとNFT。
文献や資料を読む限り、メタバースはコンピューター上に創造されたもう1つの仮想空間で、そこには以下7つの必須条件があるという。
①永続的であること
②同期的であること
③無限の同時接続ユーザー
④完全に機能した経済
⑤実社会との垣根なし
⑥相互運用性
⑦幅広い人々の貢献
①、②、③は理解できる。④は例えばメタバースの〇丁目〇番地に土地を購入することが可能でその土地に価値が発生するっていう話だと思う。⑤はARでポケモンGOをやったことがあればなんとなく理解できるかな。⑥と⑦は③同様、人々すなわち社会性を帯びないといけないのでは、ということだと思うのだ。メタバースの画廊で売られている絵画がNFTとして購入されるというイメージも想像できる。
問題はその先だ。自分がその場所に所属することに意義を感じるかどうか、ということ。
EPICゲームスの「フォートナイト」でトラヴィス・スコットのVRライブを体験、そのライブを自身がアバターとして参加している状況は、ほぼメタバース体験なのだろうし、映画『レディ・プレイヤー1』もメタバース世界を表現している。
そう、頭ではわかっていても身体的に理解できないというのが、本当のところだ。
Z世代やその次の世代で生まれながらにスマホネイティブな人からしたら、当たり前の世界なのかもしれないが、僕にはまだ抵抗感があるし、メタバースに没入できるのだろうかという感覚もあるのだ。
単なるオジサンだからなのか・・・(笑)
いずれにせよ、こうしたデジタルネイティブな人で溢れた頃には僕は音楽業界には不要なんだろうなあ、と思ってしまうのだ。
オジサンのぼやきでした~。
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