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『スピリチュアルズ「わたし」の謎』に思う


今回は海外でも音楽でもなく、最近読んだ橘玲の著書が面白かったので、同書について語ろうと思う。人はおよそ「出会ったとき無意識に注目する8つの要素(ビッグエイト)」で、他者を判断するようだ。それが以下となる。


①明るいか、暗いか(外交的/内向的)

②精神的に安定しているか、神経質か(楽観的/悲観的)

③みんなといっしょにやっていけるか、自分勝手か(同調性)

④相手に共感できるか、冷淡か(共感力)

⑤信頼できるか、あてにならないか(堅実性)

⑥面白いか、つまらないか(経験への開放性)

⑦賢いか、そうでないか(知能)

⑧魅力的か、そうでないか(外見)


これで大概の人は判断されるようだ。自分自身を考えると①、②、④、⑤はどちらか判別できるが、それ以外は判断に迷う。もっとも他者が見るイメージは、自分が思うのと違っていることがあるので、人は誰もがはパブリックイメージに支配されているのだろう。①、②だってひとりの人間にはどちらの要素もあり、外では社交的に振舞っていても家では結構寡黙だったりする人も少なからずいるのではないか。同書では激辛ラーメンと図書館を引き合いに出し、激辛ラーメンを好む人は外交的、図書館を好む人は内向的と説いている。僕自身どちらも好きなので、やはり人間は複雑な生き物だと思う。

さて、④の共感力でとても面白い話が記されていた。共感力は一般的に無条件に良いものとされ、道徳の礎と論じられている。しかし、実情は共感力は世界を分断、戦争を引き起こすというものだ。どういうことかというと、共感力は普遍性を有せず、スポットライトが当たったところだけに注目し、陰になった部分を意識の外に置いてしまうというのだ。

例として10歳の少女の話が出てくる。

致命的な病気にかかり、苦痛を緩和するための治療を受ける順番を待つ10歳の少女。被験者は彼女の記事を読んだ後、治療の待機リストに割り込ませる権限をもっていたらどうするか問われた。

「何をすべきか」と訊ねると(客観条件)、被験者は治療を必要とする他の子供たちがいる以上、少女を特別扱いして先頭に割り込ませるべきではないと答えた。次に少女がどう感じているかを想像するよう促されると(共感条件)、こんどは優先されるべき他の子供たちを差し置いて、少女を先頭に割り込ませることが多かった。被験者に共感をもたせたことで公平さが踏みにじられ、道徳にもとる判断を下すようになったというのだ。

これを敷衍して民族や人種、国家に当てはめた場合、ある民族は他の民族への敵意からではなく、自分たちのメンバーへの「愛と絆」が増すことによって、結果的に排他的になるのだという。「愛は世界を救う」のではなく、「愛」を強調すると世界はより分断されるのだ。

この意見になるほど、と思った。愛と憎しみは反意語で、愛する対象がいればその他は対象から外れることになる。

本書はそのあと、「博愛主義者の共感力は低い」と論説する。共感力の低い人は他者に対して冷淡に見えるかもしれないが、それは周囲が感情的になる状況でも冷静に対処できるということでもある。そうだと頷いた。博愛主義者の例として、アインシュタイン、ガンジー、マザー・テレサが挙げられているが、この誰もが周囲に対しては残酷、冷淡だったとみられていたようだ。狭く残忍でも、広く救済するのが博愛主義なのだろう。

常に人間のパーソナリティには二面性があると考えておくと、誰もがホッとできるのではないだろうか。ちなみに母性を感じさせるオキシトシンをより多く分泌する女性の方が共感力は高いようだ。理想としては共感や同調は悪くないが度を過ぎると及ばざるがごとしなので、他人への理解力をもっておけばいいのでは、と個人的には思っている。

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